インストラクター日記

死の限界を超えて

2013/03/07

みなさんこんにちは。
LAVA大森店の師岡絵美里です。


春っぽくなってきましたねーー。
心が軽くなるような温かい日がある今日このごろです。

今日はまずお知らせです。

2011年の春から、「3月」という月は私たちにかの震災を今一度思い出させる月でもありますね。
各地でチャリティの企画が様々に開催されていますが、LAVA渋谷店ではフリーマーケットと108回太陽礼拝のワークショップを開催するそうです。

私自身は直接会場には行けませんが、当日「108回太陽礼拝」ワークショップを担当する”おすぎ”こと杉田先生からのお声掛けをうけ、ささやかながらにオリジナルのイラストグッズを出展させていてきます。
 
コットンの手提げ袋にファブリックペンでイラストを描きました。
「いいな」と思う方はぜひフリマ会場でゲットしてください
4点あります。
 

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渋谷店イベントの詳細はこちら
 
 
 
今回は、ヨーガの思想における宇宙創造観をひもといてみます。
ちと長いし、ヨーガの哲学に馴染みのない方には意味をとりにくいかもしれませんが、ぜひお時間あるときに読んでみてください。
 


 
<グナの特性〜宇宙の初動〜>
 
私は震災以来、ヨーガ・スートラのある内容を洞察したり説明したりする際に、震災時の経験や体感を思い出すことがあります。
それは、ヨーガ・スートラ第2章サーダナパダの19節の内容についです。
 
 
こんなスートラです。
 
 
2-19グナの段階には「特殊のもの」「特殊でないもの」「定義されるもの」「定義され得ないもの」、の四種類ある
 
 
初めて読む方やヨーガ・スートラに馴染みのないかたには、ここだけ読んでもさっぱり意味がわからないでしょうし、ヨーガとどう関係あるんだろう、と思うと思いますが。
 
ものすっごくざっくりあっさり言ってしまうと、
ヨーガでは、この宇宙の万物はすべて「プラーナ」という「何にでもなれる純粋な気」が、なんらかの形態をとったものですよ、とされます。
2−19に出てくる「グナ」とは、「特性」のことで、「何にでもなれる純粋なプラーナ(気)」が、この世界に具現するものの状態・形態・有り様を象る際にとる「特性」のことを指します。
それは、サットヴァ(精妙)・ラジャス(活動的)・タマス(重い・鈍い)というよう特性を指します。ざっくり言うとそんな感じです。
 
 
万物は、プラーナ(気)が、グナ(特性)をとることで具象化される。
 
水という特性、火という特性、土という特性、今わたしが触っているパソコンという特性、みなさんの近くにある物質もみんなプラーナがなんらかの特性をとった状態で、
それは物だけじゃなく、目にみえないものもプラーナのある特性です。
「今思ったこと」もプラーナのひとつの形態だし、
考えたことも思考というエネルギー形態、
つまり「グナ」の現れです。
 
この「グナ」の現れを、
「なにも現れていない」地点から、「現れた」という状態というところまでの「段階」を説明したのが、ヨーガ・スートラの第二章の19節です。
 
 
(2-19)
グナの段階には「特殊のもの」「特殊でないもの」「定義されるもの」「定義され得ないもの」、の四種類ある
 
(「パタンジャリのヨーガ・スートラ・インテグラルヨーガ」の訳を引用)
 

順を追ってごく簡単に説明すると、
 
最初の「特殊なもの」は、私たちが肉眼で見たり触ったりできる状態にまで具象化されたプラーナの状態(特性)で、密度が濃くまとまったものです。
「物質レベルで確認できるもの」、と言えばかわかりやすいでしょうか。
この特性は、ヨーガ・スートラの中では「粗大なもの」「粗雑なもの」と捉えます。
 
 
次の「特殊でないもの」が、より「微細なもの」です。体でいったらオーラのような。見える人には見えるかもしれませんが、人体の5つの感覚器官では捉えられ得ないものです。
 
 
三つ目の「定義されるもの」
これは、「プラーナの初動」、とも言いますか、「知」と捉えていいのだと思います。文献によりいろんな表現や、それに対する注釈表現がされていますが、

私なりの言葉でいうと、「創造の初動」という感じ。
これの説明はのちほど。
 
 
 
最後の「定義され得ないもの」は、
3のグナ(サットヴァ・ラジャス・タマス)が、まったくの均衡を保っていることで、なんの「動」もない。
 
それは「なにも現れない状態として存在している」、と言う事もできるし、
それはイコール「存在していない」とも言えます。
 
顕在でもあり、非顕在でもあります。
 
どっちじゃい?と思いますか?
そう、なんですよ、人間の『思考』=マインドは、どっちかにしたがるのです。
顕在と非顕在は同席できないですよね。それは思考の求める答えです。
しかし、これは思考での理解をいったん取り外さないと捉える事ができない「概念」です。
グナのこの状態を、「存在する・存在しない」という二元的な言葉でどちらかに定義づけることは不可能なんです。
すべての「可能性」を内包している「意識」なので、「ある」も「ない」も二元性の世界では矛盾することのすべてを含む容器のようなもの。
死んでいることも生きていることも同時に可能な感じです。
 
宇宙の「創造」がなされる前の「意識」だけの状態。
 
このあたりはヨーガ概念の根本的な理論を知っていないとなかなかわかりにくいと思いますので、このざっくりな説明に「ぜんぜんわからんよ・・・」と思えても当然くらいに思ってもらって大丈夫です。もしもうちょっと聞きたいな、と思われましたらぜひ今後開催するワークショップにご参加いただけたら嬉しいです。
 
 
こういった「言葉のない領域」のことを言葉で説明してしまうと、
どうしても説明者(ここでは私)の感性から出る表現になってしまうので、
みなさんもぜひ自分の感性で読み取り、感じ取ってみてくださいね。
それがつまり、聖典や古典を読み解く面白さでもありますしね!
 
自分の感性をピカピカに磨いて感度を高めておくと、わかる、かもしれない。
哲学や物理学、真理の「理解」とは、芸術的作業なのです。
 
 
 
 
さて話をもどすと、この話のどこで「震災」が思い出されるかと言うと、
 
創造のエネルギーであるプラーナの特性「グナ」の「4つの段階」の中の、
三つ目に出て来た、
 
「定義されるもの」
 
の話のところです。
 
 

 
ヨーガ・スートラの解説書である「インテグラル・ヨーガ」のスワミサッチダーナンダ師の解説の中の言葉だと「わずかに顕在した段階」のものされます。
 
 
「わずかに顕在した段階」
 
 
意識。
先の説明のとおり、プラーナの特性(グナ)が、まったくの均衡を保っていたの段階では、この世界は「非顕在」でした。具現なし。何も起こっていない。
体験されるべき世界はないのです。
 
そこから、プラーナのわずかな「動」があり、その「グナ(特性)」が、わずかーーーーに顕在してくる最初の現れは、「知性」と言えます。
 
 
宇宙の知性のようなものをとらえることはできますでしょうか。
 
 

まず「なにもない(すべてある)」があり、まったく「動」がない。
それが宇宙の意識の根源。
 
そこにわずかな「動」が起こります。
サットヴァ・ラジャス・タマスの「三つのグナ」の均衡が、ほんのわずかに揺れるのです。
 
それが、「個性」や「存在」を生み出す「知」。
意識の、最初の「動」。
 
 
宇宙のインテリジェンス、とも言えるのではないかと私は思います。
 
 
それが「定義されるもの」〜「知性」です。
 
 
 
この説明をするときに、私はたびたび震災の後の数日間の経験を思い出すんですね。
  

あの時、絶えず余震で来ていましたよね。
 
 
みんながそうだったんじゃないかと思いますが、
全細胞・全神経が「地震」つまり「地の動」に対して超動物的に敏感になり、
全身全霊で「地球」に対してコミットしていました。

五感も第六感もフル稼働・フルオープンに、
ある意味みんながサイキックでスピリチュアルになった期間だったと思います。
 

震災後のあの期間は、携帯電話の機能が前もって「余震がくる」ということを知らせてくれましたが、でも・・・
 

その「警報」以前に、「知っている」「わかっている」感覚がしませんでしたか?

 携帯が音を出す一瞬か数分か前に、すでに「あ、くる。」とわかっていませんでしたか?
もしそのような体験があったなら、その時の、
 
 
「あ・・・」
 
という刹那(瞬間)の、まるで「全能」かのような意識状態を思い出してみてください。
地震への「恐れ」ではなく、「全能的な感知」、です。
 
それがここで言う「定義されるもの」の、グナがわずかに「動」へと傾いた一瞬の「知。それに最も近い体験のひとつなのではないかと思います。
 
 
個人的には今でも地震に関して、
 
「あ・・・」
 
という、「知ってる」意識体験はけっこうよくあります。
みなさんも、もしかしたらそうかもしれませんね。きっと多くの方が。
 
震災以来東京でも、地震が時々あります。
 
その時、とくに寝ている時によく起こるのですが、
地震の起こる数秒前に、目がパチと覚めて、
世界が「しーん」としてるのをただ観るんですね。
 
とてもとても静かなんです。この世界のすべてが「うそ」なんじゃないかと思うくらい。
(実際にこの世界は幻想、とヨーガの思想は捉えます。)
 
それが「動」の前の「静」。
私たちが息を「吸う」その一瞬前のような刹那です。
 
その「静」の中で、「知」そのものの意識である自己はすでに、
「地震が来る」ことを知ってるのですね。
 

その意識の状態は、本当に本当に静かで、心にいっさいの「動」がなく、
そこから「知」だけが開いた、プラーナの初動を感じるのです。
 
そして実際世界では、その数秒後にちゃんと地震が来ます。
東京では被害が出るほどの大きな地震ではありませんが、
それでも世界の創造のプロセスの一番のスタートから、「体験できるレベル」まで粗大・粗雑になったグナの変化を一瞬に体験します。
 

知。

 
プラーナの初動。
時間の過去も未来もなく。起こることのすべてを「観ている」自己。
 
その感じがわかると、この世界を「観照する者」・「プルシャ(真我)」という至高の自己存在への理解が深まるのではないかと思いシェアしました。
 
理解することと体験することはまた違うかもしれませんが、
人の意識とは往々にして「理解していること」を「体験する」性質があります。
すでに心にあるものを、この世界において体験するのです。
脳の「記憶」の範囲では、「過去に体験したから知っている」という「順番」が前提ですが、「意識・知」にとってはその順番はなく、「知っている、だから体験する」のですね。

ヨーガ・スートラなどで示される「概念」は、時として言葉で説明するのは難しい場合が多々あります。
言葉や時間のない領域のことを説明しているのだから。言葉にした時点で誤差が生まれるのです。
それでも、どうにかこうにかでも言ってみないと、この思考を使っているステージの私たちの中で伝わらないので、言ってみる必要があるのは確かですね。
そんな中でどうにかこうにか言葉を駆使して伝えてみる、というのは、私にとっての必要かつ重要なサーダナ(実践)だなあと思います。
それでもってそれが好きなので、喜んで引き受けているのです(笑)
今後も研磨しますのでよろしくおつきあいください。
 
 
 
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2011年の震災はとても悲惨な現状を生み出したものではありますが、
それでも、私たちの中の、
 
「生きるって、どういうことなのか」
 
という学びに対しては、多大なる影響を与えてくれたことを認めざるを得ません。
 
今まだ生きている私たちは、この大いなる矛盾の中で真実を学び取り、森羅万象に敬意を払い続けていくこと、そして今を大事に生きていくことしかできないのですが、それそのものが私たちの霊性を高める道だと信じるしかありません。
 
震災の思い出を、「苦しみの再現」として「感情」で追体験する必要は私はないと思っています。
とくに私を含め、生死に関わらないレベルでの体験であったは。
 
「感情」ではなく、もう一度「客観的になる機会」として、この3月11日を洞察することで、あの体験から学んだ「本当に大切なこと・・・」という、
 
「生きることの核」を
 
今一度思い出すことができればいいと思います。
 
 
この人生は一度きりなんですよね。巻き戻しはできない仕組みです。
だとしたら、今自分がいる場所で、自分のそばにいる人たちを少しでも幸せにできる「なにか」をし、それを自分の幸福とすること。
とても小さい範囲かもしれないけれど、本当の意味でやるべきことはそれしかないように感じます。
 
それでもなお、もっと多くの、誰かを助けたい、世界に平和を、
と願う、いわば善としての「人間の本性」を讃歌して、
できることを心をこめてやっていきたいですね。


  
改めて、震災で命を失った方々のご冥福を祈ります。
その魂と、その遺族の方々に、
被害に遭われた方々に、
今も苦しい現状を生きぬいている人々に、
どうか安らぎの光が増しますように。
現実的な豊かさと、心の傷の治癒がもたらされますように。
 
 
祈り。
 
「ムルッテュンジャヤ・マントラ」という祈りのマントラがあります。
とても好きなのでワークショップなどではよくチャンティングします。意味がとても好きなんです。
 
 
豊かさをもたらす力の象徴、第三の眼を持つシヴァよ
高貴な香りを放つ者、シヴァに私たちは自らを開け放ち祈る

どうか私たちが「死」という限界や「死」の恐れから
解き放たれますように
すいかのように、成熟したら自らを束縛していた蔦から自然に離れてゆくように
私たちも、時がきたら、死に象徴される限界から解放されますように
 
 
なんて美しい。
このマントラのおかげで、「すいか」という物への洞察が変わりました(笑)。
 
そんなスイカへの敬意をこめて、今日はスイカをモチーフに絵を描きました。
“シヴァ神じゃないのかい!”とつっこまれそうですが、ここはスイカへのシンパシーなのです。(笑)
  

スイカヨガ.jpg 
 
このイラストでなんかグッズとか作ろうを思ってます。趣味万歳。
 
 

<ワークショップのお知らせ>

2013年3月、LAVA大森店にて師岡絵美里のワークショップです

「舞の瞑想・ナタラージャヨーガ」

3月9日(土)9:00~10:30
@LAVA大森店
ヨーガを踊ろう。舞いながら純粋な自分を取り戻そう。

 
「氣を感じるヨガ」

3月16日(土)9:00~10:30
@LAVA大森店
氣=プラーナを研究します。
自分自身の「今現在」がよくわかるワークショップです。
3月7日(木)10:30~12:00

 
 「スピリチュアル瞑想ヨーガ」

☆ヨーガ・スートラを学ぼう編☆
3月23日(土)14:00~15:30
@LAVA大森店

 
久しぶりに90分のロングバージョンで行います。
今回からは「ヨーガ・スートラ」の教えをひもときながらヨーガと瞑想を深めます。
瞑想も30分とれますのでじっくりできます。どうぞこころゆくまま深まってください。 
 

みなさんのお越しをお待ちしています。 


最後までお読みくださりありがとうございます。
みなさんの日々が健やかでありますように。
  


ナマステ
オム シャンティ
 

師岡絵美里

ホットヨガスタジオLAVA大森店は コチラ(PC専用リンク)
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