インストラクター日記

生きる喜び

2012/06/21

こんにちは。師岡エミです。
 
 
さて。
 
 
 
自分らしく生きるって、いったいどういうことなんだろう。
 
そういうのって、頭で考えているかぎり、
 
まったくもって答えらしきものには触れられないテーマです。
 
 
いろんな理屈をつなげてみて、考えて、考えて、思考でもって納得させようとしても、
体は納得いたしませんし、そんな思考上ですら、薄々「ちがうな」と思っているものです。
 
生命の本質に触れたいとき、私たちは、考えることを一度、横のテーブルかなにかにちょっと置いといて、
意識の中のただただ「存在してるだけ」の領域に。
 
 
ヨガは「つなげる」という言葉、そしてその意味合いであり、そのことをとても重視されますが、
 
それは「ハート」で行われた時にはすばらしい世界が広がるものであり、ハートでつなぐものです。
 
しかし多くの場合において、私たち人間は「思考」でつなぐ作業に追われています。
「思考」は、本来は「つなげなくてもいい」ような物事を、延々とつないでいきます。
それは推測であり憶測であり、具現化予備軍のエネルギー。
思考の連鎖は文字通り意識の中に鎖を作り、私たちの特定の考えやパターンの中に囲い込んで追い込んで行きます。
思考は、それの専門家なのだから仕方がないですね。
役割をまっとうしているだけで。
 

でも思考にその仕事をさせ続けると、私たちの頭は混乱してきます。
 
なにが本当なんだ。
どう生きたらいいんだ。
なにが正解なんだ。
どれを選べばいいんだ。
誰を信じて、何を行ったらいいんだ。
あの件はどうする。
この件もどうする。

こうなったらああだし、
そうなったらこうだし。
 
と、まだ起こってもいないことをつなげていって、さも関係のあることのように一大事とします。
 
もしかしたら考えて考えて考えた末に、悟りの境地が開かれることもあるかもしれない。
実際にそういう人もいる。
 
でも多くの人にとってこれはとても「労」で、途中段階のストレスはきっと大きいだろう。
だからもっと、みんなにとって楽で、突き詰めなくてもよくて、安心できて、
簡単に大丈夫と思える道があってもいいように思う。

目をとじて、瞑想してみるのはどうでしょうか。
別になんの動機も目的もいらないから。
 

自分の中の、オリジナルのエッセンスに触れることが、たぶんできるよ。
きっとできるし、本当は「できる」と私は言い切れるし、私個人は本当に信じちゃってる。
瞑想の、素晴らしさと恩恵と、計り知れない慈愛を。
 
いや、別のやり方で行く人もいるさ。それはそれでいいのだ。
フットボールの選手を観ていると思う。彼らはこのやり方で、神と触れ合っているんだと。
自分の管理できる脳の作用で身体をもって極限まで練習して、そして最後はそんなもの手放して、
すべてを「今」に明け渡すことで、ミラクルを起こしたりする。
プレーという限りない意識の領域に入れるのは、身体的な訓練の賜物でもあるけれど、その明け渡し方に感動する。
彼らに瞑想はいらないかもしれない。いるかもしれない。わからないけど。
少なくとも、プレーが瞑想であり、プレーが宇宙とのセッションだと思う。
 
ダンスも。書道も。楽器も歌も。絵もそろばんも。裁縫も。
なんだっていいのだけど、「自我」というかわいらくて小さな自分を、宇宙とのセッションに明け渡せるなら、なんでもいいのだ。
 
そして、
そんなことをしながらも、
瞑想してみてはどうだろう。
と常々思うのです。
 
 
もしあなたが、
 
自分らしく生きるって、いったいどういうことなんだろう。
 
本当の自分ってなんだろう。
 
と感じることがあるのなら、

まず時間を忘れずほどに好きなことで、それでいてそれをすると周囲の人がなんだか喜んでくれることに打ち込んで、時間も忘れてめいっぱい没頭し、

そしてそんな日々の中で、瞑想をしてみたら。
 
と思うのです。

私は今、メディテーションヨガという瞑想のクラスの開発と研修、
そしてインナービューティーヨガという女性性の開花と変容を促すクラスの開発と研修に携わっています。

この二つのクラスを、まずはたくさんいるインストラクターさんと、そしてその先に広がるみなさんの世界へと送り出せることを、本当に幸せに思っています。このふたつの件で、今回の人生のかなり多くのカルマを解放しているとすら感じます。
 

そして、
 
LAVAはね、とても、かなり変わりました。
今もって変わりつつありますが、現段階で区切ったとしても、大きく変わったとも思います。
 
 
今までは身体を通じてハッピーにフォーカスしてきましたが、
これからは、心の豊かさということに対して、
間に「体」をはさまなくても、ハートからハートへと、真っ正面から遠慮なくフォーカスしていきます。
もちろんそのうえで、体はすごく大事、スピリットが宿る聖域として大事に扱っていきます。


どんなにスタイルがよくたって、
どんなにお金がいっぱいあったって、
どんなにすごい家に住んですごい車に乗ってたって、
どんなに人にうらやましがられる地位について、
どんなに人からうらやましがられる生活を送っていたって、

もし、あなたの心がサツバツとしているとしたら。
「ほんとうの自分」と、いっこうにつながれていなかったら。
人生は、豊かだとは言えないかもしれない。
 
物質も大事で、物理的豊かさも大事で、もちろんそれも大事にしつつ、
 
でも「入れ物」だけが整って、中身がすかすかでまったく輝きがなくくすんだものにならないように。
 
ハートをピッカピカに磨ける提案を、たくさんしていくのです。
 
 
「アーナンダ」「シャンティ」
 
生きる喜びをもって、ヨガであり、人生とします。
 
 
ぜひ、瞑想のクラスに来てください。

そんなに体は動かしませんが、宇宙レベルで波動は動きます。むしろ運動よりも運動です。
元気になるかも。
すっきりするかも。
泣けるかも。
笑えるかも。
安心するかも。
寝ちゃうかも(笑)

なにが起こるかは、誰にもわからない。
 
でも「本当のあなた」が、今のあなたに必要だとする「変容」が、水面下で起こるのです。
私たちの思考が捉えることのできない、深淵で無限の領域で。
 
ぜひ、瞑想にきてください。
 
  
これを読んでくれている、主に、まだ若い、経験のまだ浅いインストラクターのみなさんにも、
エールを送ります。
 
ハートを開いて、インストラクターのみなさんと、そしてLAVAに来てくださってる皆さんの中にある、
 
~心をピッカピカにする~
 
というテーマに、臆せずに、必要な刺激を与えてみてください。恐れずに。

「人」は怖くないよ。「他人」は怖くないよ。
向かい合うべきことがあったから、ヨガのインストラクターになったんだと思います。
もしそうなら、この仕事は最良の環境のひとつかもしれない。
「人生にやるべきことなんてなにもない」のだけれど、
もし、向かい合うべきことがあるのなら、それは自分自身であり、
なおかつ自分だけではなかなか見えないから、他人がいてくれている。すべての人に感謝・・・・そんな崇高なことができない時もあるかもしれない。
でもさ、真実、私たちは、なんであっても、いづれにせよ、「光」なんだから、安心しよう。
 
 
レッスンはすべて「生きる」というセッションで、
まずインストラクターさんが、その瞬間を生きよう。
誰かのためじゃなく、自分のハートの泉から無限に与えられる、枯渇することのない愛がわきあがってくるのを信じよう。
ひとつひとつのレッスンを、インストラクターさん自身の"ハートの充足という「泉」から提供してほしい。
レッスン。そこでハートのセッションをしてほしい。
そこが大事なの。
もちろん対価をいただいているから「サービスの提供」ではある。
なんだけど、そこも大事にしながら、超えて行こう。
 
すべての瞬間を、アーナンダ、シャンティに導くのです。
それがヨガティーチャーという素晴らしい仕事。奉仕。
あなたなら、ごく自然にやれる。
 
 
 
 
最後まで読んでくださりありがとうございます。
 
 
 
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娘とピーマン

保育園の畑の、ピーマン担当のうちの娘です。
ピーマンに愛を注いで、自分の愛で育ったピーマンを食べて、自分の愛が、自分の体になる。
自分という愛が、世界と自分を満たす、循環。
 
 
 
 
 
感謝をこめて
ナマステ。

peace!!!
 

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