インストラクター日記

瞑想。あるがままに導かれて。

2012/03/01

沖縄の木


みなさまこんにちは。
師岡エミです。

写真は、知人が送ってくれた沖縄、首里城の木。
送ってくれちた日は2月でしたが気温20度。いいなあ~~~!


もうすぐ春ですね。
なんとなく寒さが緩まる日もあり、心がウキウキします。
 

そんな春にぴったりのクラスがあります。
前回のブログでも書かせていただきました、
椎名慶子先生&赤座綾先生と監修しました瞑想のクラスです。
 
 
「スピリチュアル瞑想ヨガ」

ありのままの自分で心地よく生きれるように、
またその人が元々持っている本来の才能を引き出して
創造的な人生を歩めるよう、
内なる静けさに身をゆだねてみます。
瞑想を難しく考えず、まずは気楽に座ってみましょう。
ハッピーにシンプルに、楽しい人生のために。


レッスン内容

1 お話:瞑想について
2 体ほぐし:エネルギーとしての身体をほぐし、瞑想しやすいからだに導きます。
3 瞑想(誘導瞑想10分ほど、その後30分ほど沈黙)
4 感想をシェア

参考)
http://www.yoga-lava.com/info/spi_medi.html

開催店舗

LAVA自由が丘店
32日(金) 11301300

LAVA
銀座本店
317日(土)10001130

LAVA大森店
326日(月)11301300

このクラスを開けることが最近の私の大きな楽しみのひとつとなっています。
 
私にとって瞑想なくして日常は成り立たず、朝の瞑想や寝る前に数分でも沈黙の時間をとることは、食事や睡眠や排泄などと同じくらい心と体にとって必須の行為ではあります。
そして、みんなで集まってグループで行なう瞑想もまた、違った感覚が呼び覚まされたり神秘性の高い体験に導かれるので、ややイベント的に楽しみにしているところがあるのですが(笑)、これまた私とって必須だなあと感じるこのごろです。
 
みんなで瞑想できるって、素晴らしいですよね!!
 
(あ、今、LAVA大森店でこれを書いていて、近くにいる髪林先生に、「なんでもかんでも“素晴らしい”って言葉で終わらせるのを控えるよ。思考で理解したいタイプの人にもわかるように、“素晴らしい”を違う言葉でも言うようにする。」と自分から話していたばっかりなんですが、もうすでに“素晴らしい”で終わってしまった。)

 みんなで瞑想できるって、素晴らしいんです!!!(笑!)

 2月からスタートした「スピリチュアル瞑想ヨガ」ですが、クラスの最後にみなさんの瞑想体験や感じたことなどをシェアさせていただいています。
その中で、長く瞑想するのが初めてだったり、まだ慣れていない、という方からよくあがってくる感覚がありますね。
今日はそれをシェアしたいと思います。
 
 

<『無』にならないといけない?>

日本には文化的に、「座って静かにする行為」が根付いています。
瞑想の方法もいろいろなものがあります。なので初めて瞑想する方にとってイメージとして、
「瞑想」とは・・「無になること」
という風に思い込んでいる方が多いかもしれません。
 
クラスのイストラクションをしている私自身は、瞑想に入る前のお話の時などに、
 
「ではみなさんは、今から『無』になってくださいね」

というようなコメントはしていないのですが、最後に感想を言っていただくところで、

「ぜんぜん無になれませんでした(笑)。」

というコメントの方が数人・・・。
 
そっかあぁ~・・と思いました。
 

おそらくですが瞑想と言うと、お坊さんに肩をバシっ!と叩かれるスタイルのものを思うのかもしれませんね。
眠気や邪念、集中が途切れる → 「なっとらん!」と叩かれる。
日本人にはそのイメージが強いのかもしれません。でもあのバシっと叩かれるあれも、「なっとらん!」っていう意味ではないんですよね。「できていない」と怒られてるわけじゃないのです。なのでそのイメージは払拭していただけたらなあと思います。
 
いろんな瞑想の仕方がありますが、頑張って「無」になろうとするのは逆に不自然だし、無にならなければいけないわけでもなく、私的にはむしろ、ならなくていいですよ。「無」の定義も人によって違ったりしますしね。
 
 
私たちが瞑想でまず入りたい境地は、
 
ジャッジしない
コントロールしない
あるがままの流れにまかせる
 
瞑想体験の中で起こることを、すべて許し、成り行かせ、ただ観ているだけ。
観察意識の境地のスタートです。
 
「無になろう、無にならなくては。これは無じゃない。」
というのはそれ自体が思考の働きであり、状態をジャッジしてコントロールしようとしている観念です。その観念そのものからまず、手放していけるといいですね。
 
状態をジャッジしてコントロールしようとしている観念。
これって、一般的に多くの人々が日常の中で行なっている思考の動き方・観念かなと思います。
自分や他者や物や出来事をジャッジし、自分(の思い込み)にとって「よし」とされる状態にしようと、それらをコントロールしようとする。
うまくいけば喜び、うまくいかなければ悔しがる。
そう。瞑想の中では、こういった日常の中で構築した思考パターンがまず浮上します。
 
自分(他者)を責める
ダメだと思う
というような、思い込みによる決め付けや判断。
 
連想する(本当は関係ないことを・・・)
推測する(そう推測することで本当にそうなってしまうかもしれないことを)
そして心配する
などの思考の連鎖。
 
これはいい。
これはダメ。
という良し悪しの判断、ジャッジ。
 
こうしよう。
ああしよう。
いいや、こうしてみよう。
というコントロール。制御しようとする欲求。
 
最初はいろんな思考の動きが出てきます。
 
でもそれらを「ただ観ている」境地に入れるといいですね。
ただ観ている。
考えたらそれはそれ。浮かんだらそれはそれ。
 
ジャッジしないコントロールしない
あるがままの流れにまかせる
それがそうであることを許し、成り行かせ、ただ観ているだけ。
 
 
って、まあこんな感じで説明やレクチャーをするんですよね。だいたいそうしています。でもね、それでもやっぱ人って「思い癖」の中にいるのを好んだりします。
このようなレクチャーを聞いたあと今度は、
 
「ジャッジしてはいけない!」
「コントロールしてはいけない!」
「あるがままに任せなければいけない!」
 
と、気合いを入れてしまう方も多いようです。
「~~でなければいけない!」という思い方のパターン。
なんだかんだ思考で制御しよとします。
『状態をジャッジしてコントロールしようとしている観念』。
さっきの話に戻りますよね。
 
そう。最初は、日常の中の思考の動き方が、目をつぶっても次から次へと出てくるかもしれません。でもあきらめず、瞑想も自分自身も気楽に捉えて、
 
「ゆったり、安心してればいいんだな。」
 
くらいに座ってみてください。
 
 
私がよく説明に使いますのは、
 
瞑想中に出てくる思考や感情やそれらを伴った情景を、空に浮かぶ「雲」とします。
 人はその「雲(思考・感情・情景)」のほうに意識がいってしまい、とらわれ、
雲のほうを「自分」だと感じている錯覚に陥っています。(それが多くの人の日常。)
 
でも本当は、
「空」のほうが「ほんとうのあなた」
です。
青空のほう。受け皿であり、すべてを許容している方があなたです。 

流れる雲、真っ白い雲、雷雲、どす黒い雲、細い雲、大きな雲、なんとなく不吉な感じがする雲、空全体を覆うような雲、いろんな雲(思考・感情・情景)が出てきますが、
その「雲」があなたではなく、青く晴れた光輝く空のほうがあなたです。
 
自分の意識という広大な領域に、いろんな雲の存在や動きをただ許している。ただ観ている。(雲を)受け止めるとか、受け入れるとかでもなく、ただ観てる。
それを思い出すだけでオッケー。
そしてそれを思い出だすだけで、徐々に思考の雲、感情の雲、それらを伴った情景の雲は、ゆっくりと青空に溶け込むか、光に還るか、もしくはあなたにとって心地よい波動、ゆらぎへと変わっていきます。
 
 
ジャッジしない
 
コントロールしない
 
あるがままの流れにまかせる
 
それがそうであることを許し、成り行かせ、ただ観ているだけ。
 
 
そうそうそう。そうやってさあ、瞑想を何度も繰り返しているうちに、最初は「目をつぶっても日常の思考パターンの連発」だった瞑想が、
いつか逆転して、 

「瞑想の中の静けさが、私の日常」
 になっていきます。
あなたの周囲の人は変わらないかもしれないし、
あなたの体験する出来事も、劇的な変化はないかもしれないし、不穏なニュースを見聞きしたりすることも、今まで同じようにあるかもしれません。
 
でも私の中は平和です。 

この感じ。 

この感じに、みんなで行きたいなって思います。
そうなったらいいな・・という私自身のエゴも含め、広く優しい私という空の中に漂わせています。
 
  

<平和について>
 
もうすぐ東北の大震災から一年ですね。

私たちのハートの領域で、この激動だったかもしれない一年を、ハートの光で洗いましょう。
悲しみも苦労もたくさんあったと思います。
私たちが「現実」と呼んでいるこの世界は、すべてマーヤー、「幻想」ですが、そうであってもこの「幻想」が、平和で、豊かさの具現化であり、最終的には誰にとっても「幸福の体験」であってほしいと思います。
 
私自身は、「自分には何ができるだろう」というようなクエスチョン的な発想は持たず、
ただ、今日会う人と幸福を分かち合う。今日会う人とハッピーをシェアする。
今いるこの場所で、自分がハッピー&穏やかでいる。
そにだけにフォーカスしています。
 

「ジャッジしないで、コントロールしないで、あるがままの流れにまかせ、
それがそうであることを許し、成り行かせ、ただ観ているだけ。」
 

それを一言で言うと、「ほほ笑み」なんだと思います。
 
優しい気持ちで生きること。当たり前ですが、それが自分にとって優しいのです(笑)。人にも。


瞑想クラスにいつでも来てくださいね。待ってます。


最上川、震災のレクイエムで灯篭流しを行うそうです。

大森店の髪林先生が持ってきてくれた灯篭にみんなでメッセージを書いて送り返しました。私は絵で、メッセージを描いてみました。
素敵、そして神聖な企画です。こういう企画を実行してくださるNPO団体さんがいらっしゃるのも大変ありがたいです。
 

灯篭流し1.jpg

灯篭流し2.jpg

ではみなさん、素敵な日々を。
感謝と祝福を送ります。
 
 
ナマステ
Peace

  

ホットヨガスタジオLAVA大森店は コチラ(PC専用リンク)
ホットヨガスタジオLAVA公式HPは コチラ

サイトマップ